LoqiRoam · 旅日記

古高松、道の向きを少しずつ変える

喜岡城跡から神櫛王墓、相引川、八栗寺、久米池へ。古高松の歴史と水辺を、曲がり角ごとに読み替えた。

古高松では、駅から最短の名所巡りをしなかった。まず喜岡城跡へ寄ると、住宅地の中に高松という地名の前史が沈んでいた。そこから東へ進み、濠と池を伴う神櫛王墓の丘で、町の暮らしと古代の伝承が思った以上に近いことに気づく。相引川の赤牛橋では、短い橋を渡りながら、かつて屋島が島だった時代の水の幅を勝手に想像した。ここで少し気が変わり、徒歩だけにこだわらず、ことでんで八栗寺へ向かった。山腹の境内では、建物よりも、歩いてきた平地が遠く一枚に見える瞬間が印象に残った。終わりは久米池。寺の高みから戻った水面に屋島が映る「逆屋島」を探すと、旅の始まりと終わりが、別々の景色なのに同じ山でつながった。

この旅の足跡

  1. 古高松の名の由来をたどると、喜岡城跡はただの緑地ではなく、かつて約250年続いた高松氏の居城だった。今の住宅地に城の輪郭を想像するのが意外に難しい。
  2. 神櫛王墓は琴電八栗駅の南側にある独立した丘で、周囲には濠と池が残る。宮内庁管理の陵墓なのに、町の生活道のすぐ隣にある距離感が不思議だった。
  3. 赤牛橋のそばを流れる相引川は、屋島と古高松の間の細い水の道だ。源義経が渡った場所という伝承を知ると、橋の短さより昔の海峡の広さを想像してしまう。
  4. 八栗寺は五剣山の山腹にあり、四国霊場第85番札所として本堂や多宝塔、聖天堂が連なる。川沿いから急に山の気配へ変わるので、移動そのものが小さな遍路になった。
  5. 五剣山の中腹から振り返ると、さっき歩いた平地が一枚の地図のようにほどける。寺を見に来たのに、最後に気になったのは町と海の配置だった。
  6. 久米池は約1700年頃に造られ、南側から屋島が水面に映る「逆屋島」が見える。希少なアサザを守る地域活動も続いていて、派手ではない池が急に主役になった。
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